耳をすますな

助けてくれ〜〜〜

孤独について(或いは父について)

初めて孤独というものに触れた時を今でも覚えている。

それは私の父であった。

幼少期、年始は母方の祖父と祖母の家に行っていた。父には親戚はいないらしく、母方の家に帰るのが私たちにとっての里帰りだった。

母の実家は京都の北の山の奥の奥にあり、コンビニもスーパーもなく、代わりに雄大な自然に囲まれていた。車で行っても2時間はかかるようなところだった。

年始、家族4人で車に乗って母の実家に泊まりに行った。とても寒くて雪が降っていたのを覚えている。到着してご飯を食べて、ゆっくりしていると、父が何やら祖父母に挨拶をして、帰り支度をしていた。母に「お父さんは泊まらないの?」と尋ねると、「お父さんはこういう場が苦手やからね」と返された。父は、山の中まで歩いて、2時間に1本しかないバスに乗って帰るとのことだった。

父を見送りに外に出た。雪の中ひとり歩いて行く父の背中を見た時、私は子供なりに孤独というものを知った。

父が母の実家に泊まることは一度もなかった。

 

父は一昨年、自分の部屋で倒れて死んでいた。同じ家に姉と母が住んでいたにも関わらず、父は死後1日以上経ってから発見された。父は家でも孤独だった。

警察署で見た書類に、「アルコール依存症うつ病」と書かれていた。母からなんとなく精神科に通っていると聞いたことはあった。父は精神科の薬をあまり飲んでいなかったらしい。

 

いつから?と考えてしまう。なんとなく、私が高校生のとき、会社をリストラされた前後でアルコール依存症になったことは感じていた。うつもその時から?それとももっともっと前から?生きている間に知れなかったことは、死んでから知ることはできなかった。

私も絶賛うつ病であるが、父の病には寄り添えなかった。それをするにはあまりにも幼すぎた。

高3の模擬試験の前日、父が失踪した。模擬試験中に「今父親が生きてるのか死んでるのかも分からないのになんでこんなことしてるんだろう」と思った。父は帰ってきた。大阪で死に場所を探していたらしく、お金もないのに酒を飲み、それでもなんとか帰ってきたらしい。家族の顔が浮かんで、と話す声をうっすら聞いた。母と姉が「生きてて良かった」と泣いている中、私はその輪に入らず父に何も声をかけなかった。なぜか腹が立っていた。父とお酒に振り回されるのに嫌気が差していた。しかし、父がいなくなった今、このことを非常に後悔している。「生きてて良かった」となぜ一言声をかけなかったのか。

父が火葬される前最後の対面の時、私の口から出たのは「ごめんなさい」という言葉だった。父に寄り添わなかったこと、父のことが大好きであるのをすっかり忘れてそっけない態度をとったこと、父を理解しようとしなかったこと。全部全部、生きてる間にできなかった。

 

父は孤独であったが、孤独を愛する人でもあったように思う。父には年賀状がメガネ屋からしか届かず、友達もおらず、会社の飲み会にも行かなかったが、それでもかわいそうとは当時も今も思わなかった。父には父の世界があった。それは娘である私でも入れぬ領域だった。

 

父は孤独を愛したが、病がそれを許さなかった。孤独はどんどん膨らんで、そして父は寒い日に1人で死んだ。死因は肝不全だったが、そうなるまでお酒を飲ませたのはその膨らんだ孤独によるものだったのではないか、と思う。母は「自殺じゃなくて良かった」と言っていたが、私は同意できなかった。何が良いのか。もう終わりなのに。一体何が良かったんだ。

 

 

ここから私のことを書こうと思っていたけれど、涙が止まらないので終わりにします。