私には「かっちゃん」という叔父がいる。
しかし、私はかっちゃんを見たことがない。かっちゃんの名前も知らない。ただ、母から教えられたわずかな情報しか持っていない。
幼い頃、祖父母の家に行った時のこと。
もうそろそろ寝ようか、とみんなで寝ていた時、何か物音がして、何者かの気配を感じた。
母に、誰かいると言うと、母は「たぶんかっちゃんや、お母さんの弟やで」と言った。
幼い私は「なんでみんないる時にいないの?」と聞いた気がする。母は、「かっちゃんはそういうのが苦手やねん」と言った。
翌朝も、かっちゃんは姿を見せなかった。
かっちゃんがいわゆる引きこもりであることにはそれから少し後になんとなく気づいた。
祖父母の家には何回も行ったが、かっちゃんを見たことはない。
自分が中学生になって引きこもり状態になった時、なんとなくかっちゃんの気持ちが分かる気がした。
それから随分経って、大人になってから、かっちゃんは統合失調症であると母から聞いた。
祖父母の家はとても田舎にあって、コンビニすらなく病院もない。
そんな土地で、かっちゃんはどれだけ孤独だろう、と想像して、恐ろしくなったこともある。
かっちゃんの話は、自分にはあまり関係ないと思っていたこともあったが、うつ病になってからは、かっちゃんのことが気にかかるようになった。
祖父が亡くなり、祖母ももうあまり動けなくなっていた数年前、母が休みの日に出かけて帰ってきたので、どこ行ってたの?と聞くと、「かっちゃんをな、お寺に入門させてな、修行させてもらうんや。」と言った。
兄弟みんなで見送ったらしい。
私はそれを聞いて、なんだか背中がひんやりした。
かっちゃんは見捨てられたのだ、と思った。
おそらく何十年も引きこもりで、統合失調症らしいかっちゃんを、寺に入れて何になる。
かっちゃんは適切な治療を受けたり支援を受けたりするべきだと私は思った。しかし、かっちゃんは姿を隠され、終いには兄弟たちに寺に入れられてしまった。
母は、たくさんたくさんお願いをして見送ったと言っていた。しかし、かっちゃんは仏様にいくら頼もうが、どうにもならないことなんて私でも分かる。
母の世代の、精神病患者がどのように扱われ、どのように生きていたのか、私は知らない。
仏様に身を委ねるというのも、一つの選択肢に入るのかもしれないが、そうしろと言われたかっちゃんの気持ちを考えると、悲しくてたまらなくなる。
かっちゃんは半年も経たないうちに寺から戻ってきたそうだ。そうしてまた引きこもっているらしい。祖母は少しぼけてきていて、祖父母家の隣に家を建てた母の兄が面倒を見ているらしい。
この母の兄が、私はとても苦手だ。
何をするにも高圧的で、声が大きくて、短気。
伯父は離婚して今は独り身だ。祖母の世話をするのも嫌がっているらしい。
そんな人がいるところで、かっちゃんはどうやって生きているのだろう。
世界でひとりぼっちで、どこにも逃げられない。
私は母親が苦手だが、苦手な要素として、精神病への偏見と扱い方があるな、と最近思う。
母からすると、弟は統合失調症、夫はうつ病でアルコール依存症、娘もうつ病。周りにこれだけいたら、理解が進む気がするのだが、そう言う訳でもないようだ。母はかっちゃんを隠し、自分の夫がうつ病だと子供たちに知らせず、娘がうつ病というのを詐病だと詰った。
母が一緒に心療内科に行くと言うので、嫌だったが連れて行ったことがある。主治医が「食欲はどう?」と聞いて、「あんまりないです」と答えると、母は鼻で笑いながら「嘘です、ご飯ちゃんと食べてます」と言い、私が主張するものを全て嘘だと言った。私が嘘をついてうつ病と言い張ってるのだと言った。
その時は、理不尽だしとても悲しかったが、今なら少し分かるかもしれない。母はおそらく、精神病というのを非常に極端に捉えていて、自分が育てた娘がそうなっていると、母は信じたくなかったのではないか。
母からすれば何もかもがうまくいっていないのかもしれない。
母はひたすらに隠している。弟が社会と関わらないこと、夫がアルコールから逃れられなかったこと、娘が大学も行かずうつ病なことも。
私の父が亡くなった時、葬儀場からの帰り道で、私と姉にこう言った。
「どうして亡くなったか聞かれたら、心不全って言いなさい。」
私はそれに納得できず、そのとき働いてた職場では腎不全だと言った。
かっちゃんはどうしているだろう。一度も話したことのない叔父に、私は自分を重ねる。
「そっち側」なんだと思う。
社会からはみ出している。
何が正しくて、何が間違いなのか、分からない。
分かっているのは、私にはセロトニンが足りていないことぐらいだ。
母は、夫が亡くなったことを祖母に隠している。祖母がショックを受けるからだという。
父はまた隠されている。祖母の中でまだ生きている。
私のこともきっとどこかで隠している。
母が隠せないぐらい、大きくジタバタ生きていきたい。